愛をもって接し、愛される存在に

私は普段いくつかのことを心掛けて日々生活をしているのですが、その1つに愛をもって人や物事に接することがあります。一般に愛というと恋人や異性などの恋愛関係において成り立つものだと思われがちなのですが、「愛」という言葉について調べてみると、例えば広辞苑などでは「男女間の愛情。恋愛」というものの他に「親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり。」、「大切にすること。かわいがること。めでること。」や「相手が幸せでいてくれればいいなと思う気持ち。」などの意味があり、必ずしも恋愛関係におけるものではなく、家族や友達、さらには物や事柄に対しても成り立つものだと考えていいと思います。

「愛」と言われるととても曖昧で分かりにくいものだと思いますが、「思いやり」、「大切にすること」、「幸せでいてくれればいいという気持ち」と言い換えてみるとイメージがしやすくなると思います。このような気持ちを表す言葉やことわざなどは数えきれないようにあると思います。そのことを考えれば、「愛」を示すためにはそこに想いがある限り無限に手段や方法があると思っています。

無限に手段や方法があるからこそ「愛」をもって接するのは難しく感じられるのかもしれませんが、私の場合は少しでも自分と一緒にいる人のためになることや、うれしく思えることができるように心がけて人と接するようにしています。そこまでたいそうなことはしていないですけどね。

ただ無理をして他人のために生きていくのがいいというわけではないと思います。他人のために動くには、まず自分が心と体共に元気でなければいけないと思っています。私も心がすさんでいるときは他人まで気が回らないときもあります。なので他人を愛するためには、まず自分を愛することが必要だと思います。自分を大切にして相手も大切にするそれが愛し続けることに必要です。

とここまで愛することについて話してきましたが、中には「自分は愛するよりも愛されたいんだ」と思う人もいるでしょう。確かに私も愛されたいと思うことはたくさんあります。しかし、私は他者に愛されるためには他者を愛すべきだと思います。何も与えずにもらうだけもらえることはなかなかありません。愛されるためには自分が愛されるべき人になる必要があると思います。愛される人になるためには他者にとって一緒にいることがいいことと思われる必要があると思います。そう思われる人こそが人を愛せる人なのではないでしょうか。

いつかみんながみんなを互いに愛してる社会がくるといいですね。

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