ルールは誰のために

たくさんのルール

昨今、ルールというのは、厄介で、厳しくて、穴があって、もはや破るものかもしれません。大きな地震からそう日も経たない中、校則に従って携帯を没収した学校が話題になっています。また他にも、他人のPCでマイニングをさせて書類送検になった、Coinhive絡みの話もあります。これらの良い悪いを言うつもりありませんが、果たしてルールというのは何のためにあるんでしょうか。

日本という国で生きる中で、まず縛られるのが法律です。法律で定められている罪を犯すと、裁判になったり、刑罰が課せられたり、といったことが起こりますよね。現代日本において、一番基本的なルールの一つです。では、「法治主義」と「法の支配」という2つの言葉を聞いたことはあるでしょうか。

「法治主義」と「法の支配」

法治主義とは、法律が最も大切であるという考え方です。これを聞いて、どう思いますか?別に悪いことじゃなさそうだ、という印象を受けると思うんです。ただ、この法治主義には「悪法もまた法」という考え方を含んでいます。もし、私たちの行動を縛るような法律が出来てしまったとしても、それに従わなければなりません。戦前の治安維持法などを思い浮かべると分かりやすいでしょうか。他にも、ナチスドイツにおいて、ヒトラーはきちんと法律に基づいて国を動かしていました。法治主義が危うさを孕んでいることはわかると思います。

それに対して、法の支配は、法律そのものに正当であることを求めるようになります。つまり、有権者である国民にとって問題のあるような法律はダメだ、という判断ができるようになるのです。法律がルールとなるのは法治主義と同じですが、憲法などをベースに、法律そのものに対して疑問をもてるようになるというのが大事な点です。現代の国家はほとんどこの「法の支配」という考え方を基にして作られています。日本のように憲法をもとに法律を作る国もあれば、イギリスのように不文法を憲法のように使っている国もあります。どちらにせよ、悪法は法として認められなくなる、という視点を持つことができます。

ルールは誰のために

さて、これは法律の話ですが、世の中には他にもたくさんのルールがありますよね。社内規定や校則、条例はもちろん、マナーといった曖昧なルールも存在します。これらのルールを前にして、私たちはきちんと疑問を持ちながら生きていかなければなりませんん。もちろん、ルールができた背景が複雑な場合もあります。正解がないことも多々あるでしょう。しかし、疑問を持たず、ただ受け入れるだけでは問題なのも当然だと思うのです。最近では、いろいろなところでルールについての疑問があがるようになっています。あなたの周りのルールについても、一度考えてみてはいかがでしょうか。

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